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線路巡礼2

美しい線路を紹介する日記ブログです。60歳で潔く定年退職!毎日をお得で、楽しく、美しく♪

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1989年北京モスクワ国際列車完結編、ソ連と闘う!(社会主義帝国の陰謀に嵌りましたぁ、泣)

イメージ 1

ソ連では外国人旅行者は厳重?に管理されています。
滞在中のホテルが決められていますから、所在地は把握されているわけです。
宿泊中はパスポートをホテルに預けるのも決まり。

1989年5月7日。
ホテルで帰国のエアロフロート航空(ソ連国営航空)のフライトの再確認(リコンファーム)を頼んでおいたら、
航空会社の手違いで、
明日の帰国便はモスクワ20:50発ではなくて、
13:10発とのこと。

ええ!?冗談じゃないよ。

ホテルの隣のインツーリスト(国営観光会社)でも確認してもらったけど、
やはり変更(というより手違い)らしい。

どうしてくれるの!
この人たちに言っても、
私たちには関係ない、の一点張り。
外国人旅行者を管理する同じ国営企業のくせに(泣)

もっとも、モスクワで見るべきものは見た、という感じでしたので、
仕方なく、明朝、早めに空港に行くことに。
(たとえ見残しているものがあっても、勝手に時間を変えられちゃうのでは、従わざるを得ません、泣)

その晩、深夜(0時)の赤の広場に行ってみました。
レーニン廟の前では、衛兵の交替が行われているのです。
コツ、コツ、コツ。
軍靴の音が不気味です。
それでも数人の観衆がいたのですが、一番前で見ると、刀剣が闇夜にギラリと光るのは、ちょっと恐い。
観光用とは違う、ちょっと恐い深夜の衛兵の交替でした。
レーニンさんも、毎晩不気味でしょうねぇ。

そして、運命の5月8日。
帰国の日。
本来は夕方までユックリできるはずでしたが、すぐに出発です。
しつこく、もう1回赤の広場に行って、衛兵交替見学。もうお友達?(笑)

さて、モスクワの空港事情。
シュメレチボ1空港(国内路線用)とシュメレチボ2空港(外国路線)があります。
1までは、市内から路線バスがあるのですが、
2までは、ないのです!
タクシーしか、移動手段がない・・・
卑しくも、超大国の首都空港でしょ?信じられません。

仕方なく、
バスターミナルまで移動(これも離れている)
そこから1まで空港バスで移動、
さらにそこからタクシーです。
市中心のホテルを9:00に出て、国際空港についたのは11:00。

と・こ・ろ・が、
指定されたはずの13:10発の東京行きの案内がありません。
いったいどういうこと?

何人もの、エアロフロート職員、空港職員に訪ねても、
分からない、
私の仕事ではない、
の一点張り。
20:50発(当初のフライト)に乗れとのこと。
冗談じゃない、それまで何しているの!(怒)
だいたい市内にもどるのに何時間かかると思っているんだ!(怒怒)

唯一、親身に捜してくれた職員のマルシャさんが
これはエアロフロートのミス。
カワイソウだけど、自分の仕事ではなく、どうにもならない。

せめて早い便への変更と、モスクワまで往復するタクシー(もちろん無料)の手配を要請すると
45分後に、カウンターに行けば、係員がタクシーを手配する。
19:00の便を手配するから、17時にここにもどれば、私がそれまでに19:00の便を用意しておく。
とのこと。

なんでも抗議してみるものだ。
大感謝です。
よかった。


でも。
ソ連を甘く見ていました。
世界一の社会主義国家を・・・

指定されたカウンターに行くと、
そんなこと聞いてないの一点張り。
市内に行きたければ、自分の金で行け!
全く取り合わない(泣)。

さきほどのオフィスにもどっても、マルシャ氏は不在。

すでに、言い争うのも疲れました・・・


あとは、せめて彼が19時のフライトを用意してくれるのを信じるだけですね。


実に長い待ち時間でしたが、
空港の長イスに座って、これまでの旅行日記を整理していると、意外と早く時間が潰れます。
(そのおかげで、今も記録が残っているのかも?)

でも、この空港、すごく暗いのです。
ソ連の印象を悪くするために、わざとボロく、暗くしているのかな?(泣)


17時。
マルシャに会えました。
フライトを変更してくれました。
アリガトウ・・・(涙)

市内までもどったのかい、と尋ねられ、
ダメだったと伝えると、
申し訳なさそうな顔をされてしまいましたが。

いいえ。
この国では、あなただけは、あのレーニンのように偉大に見えます!
と大きなジェスチャーで伝えておきました(笑)


帰りの飛行機は、予定通りテイクオフ。
機内は日本人団体で満員。
市内ではほとんど見かけなかったのにね。

次の日。
成田には当初の便より2時間以上早く到着したことになります。
実は、mさんが迎えに来てくれることになっており、
これまた擦れ違いで、大変なことでした(笑)。

------


後日談。

ソ連国営のエアロフロート航空の手違え?怠慢?により、
モスクワでエライ目に遭ってしまいました。
幸か不幸か、市内はほぼ見尽くしていたとは言え、
余計なことをされなければ、最終日は夕方まで市内観光が出来たはずです。

私の貴重な時間を返せ!

ソ連との闘いがはじまりました。


ソ連国営航空当局者との、激しい?交渉は数日におよびました・・・。



結局。
国営航空は、1万円を返却してきました。

これが妥当な金額なのかどうか、よく分かりませんが、
あの外貨不足のソ連から外貨を奪い返したことで満足。

お金のない世界帝国ソ連から、1万円を勝ち取りました。
これは日露戦争に次ぐ大勝利でしょう?(笑)

あの当時の私を外務大臣にしておけば、
北方領土のひとつくらい、返ってきたかもしれません?(笑)


でも、
まさか、あの社会主義帝国が
数年後アッサリと崩壊してしまうとは、当時夢にも思いませんでした・・・


後日談その2。

帰国してから数週間後。
社会主義の一方の雄、あの中国でも大事件が勃発。

天安門事件です。

イメージ 2

私が北京で見た、あのデモ隊。
あのときは、中国政府はまだ、一応は民主主義国家らしいスタンスをとっていたのですが・・・
あれから、デモ隊はどんどん増えていったようです。
そういえば、モスクワのTVニュースでも見たなぁ・・・

あの天安門広場が戦車で埋まった映像は、衝撃、でした。


ふたつの社会主義超大国を結ぶ、北京モスクワ国際列車の旅、
世界情勢はあの時からスッカリ変わってしまいましたけど、
まだ走っているみたいです。

いちおう、世界の平和はまだ辛うじて保たれているみたいですね。

これにてオシマイ。
ご愛読感謝でゴザイマス。
スパスィーパ!
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コメント

No title

ドキドキしながら読みました。モスクワの空港でのバトル、ロシア語でやったのですか?

No title

う~ん、さすがはソ連。でも無事帰還できて良かったのでは?ちなみに天安門事件の時には私のカミさんは(まだ私と出会う前)香港にいて結構エラい目に遭ったみたいです。

No title

衛兵の交替って楽しいですかぁ(^^)
そんなことを言いながら、お土産にマトリョーシカを…買ってないでしょうね(^^;;

No title

飛行機の時間が全く違っていたんですね。えらい手違いだ・・・。
それにしてもパスポートを預けたりと監視されながらの旅行だったんですね。なんか旅の楽しみが半減しそう・・・。

No title

mikanさん。つたない英語と体を張った抗議です(泣)
最後に、バカ野郎!、と大声で言うのがポイントです、もちろん日本語(笑)

No title

はなゴンさん。帰ってこれない心配はなかったのですが、ソ連の醍醐味を十分に堪能してきました(泣)
実は香港に行ったことがありません・・・

No title

ガンモさん。何故か衛兵の交替って、必ず見に行ってしまうのです(笑)
こんな国に外貨を落としてたまるか!ということで、何も買っていません。安いレーニンバッチだけ買ってみました。
キャビアも買ってしまった。

No title

おびとけさん。当時も今も、トラブルの原因は分からないのです。ソ連人は誰も責任を感じていないということだけは間違いないみたいでしたけど(泣)
監視されるほど重要人物ではゴザイマセン(笑)

No title

ものすごい経験をされましたね!!怒っている時は世界共通、言葉だけじゃありませんね(笑)

No title

流浪の民さん。怒らなくちゃダメですよね。会話能力なんか問題じゃない(笑)
今ではモスクワ空港も少しはまともになったのでしょうか?
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